お空から見てた☆
昨年「奇跡体験アンビリーバボ!」という番組で、生まれてくる前自分がどこにいたのかを、幼い女の子がたどたどしいながらも一生懸命両親に語っている放送回を観ました。
私も娘が3歳ぐらいの時、好奇心から「ママのお腹に来る前はどこにいたの?」と聞いてみたことがありました。
当時娘も、その放送に登場していた幼い女の子と同じようなことを言っていました。
「お空から見てた。このパパとママにしようって」
ただ、その女の子と違っていたのは、女の子はお空の上では赤ちゃんの姿だったと言っていたけれど、娘は当時、その時の自分は大人の女の人の姿だったと言っていたことでした。
それに娘の場合、小学生に上がるくらいにはその記憶がほとんど薄れていました。
今に至っては、そう言ったことすら全く覚えていないそうなのです。
私にはそういった記憶は全くありませんでしたが、幼い頃、気がつけば空に向かって喋りかけているような子どもでした。
田舎だったので、どんなに大きな声を出してもたかが知れていて、今から思えば、私は本当によく空に向かってお喋りを繰り返していました。
流れる雲や太陽の光具合を飽かず眺めながら、話しかければ神様はちゃんと聞いてくれているものと信じて疑いませんでした。
小学生になる頃には、さすがに人前では恥ずかしいという思いが芽生えはじめていましたが、それでも私は、時々そうしてお空の神様に話しを聞いてもらっていました。
家族間の不協和音が特に酷かった中学生の時分は、空に向かって喋ることはもうなくなっていたものの、ただ、もう空に帰りたいなあということをずっと思っていました。
願っていた、とでも言うのかな…
中三の時、どうしても家に帰りたくなくて、「寝袋持ってくるから、図書室に泊まらせてほしい」そう担任の先生に頼み込んだことがあったっけ…
ある時その先生が、グループ学習の時だったか、突然「〇〇(私の名前)はほんと可愛いな」と言って後ろから抱きついてきたことがありました…
騒がしかった教室が、一瞬でシーンとなりました。
私は固まってしまいました。
それから先生は、顎を私の頭にのせてきて……
先生がやっと離れた後、また教室に音が戻りました。
まるで何事もなかったかのように…
けれど私は、しばらくの間動くことができませんでした。
これでもう、先生との間に深い隔たりが出来ました。
この大人も信用ならないって、心の中で烙印を押しました。
話が飛んでしまいましたが、
「こんな親のところなんかに、こんな家に生まれてきたくなかった」
私は何度か、親に向かってそう吐き捨てたことがあります。
本当は、私が折り合いが悪かったのは祖父母とだったのですが…
あの時はそれがもう、自分にとって精一杯の抵抗でした。
因みに家は田舎なので、プチ家出はせいぜいが裏山でした(いらん情報w)
ところがなんてこと!?勝手に親のところに、親のせいで生まれてしまったものと思っていたのが、実は自分で親を決めて生まれて来たなんて…!?
はっ!?
私はにわかスピなのであまり詳しくありません、なので、だいぶここから妄想入りますが…
生死の一番大事なところは、どうやら神様が決めるらしいのだけど、どの親だったり、どの国だったりかは、ある程度選択権があって自分で決めることができるみたいなものなのかな。
この世で何を学ぼうかといろいろ計画を立て、いざおんぎゃあ!と生まれてくる、そういうことのような…
若かった頃、この世はなんだってこんなに公平じゃなく、不公平なことばかり多いんだろうっていうことを悶々と考えていた時がありました。
でも、そういう計画、設定を立てて生まれて来たのは自分、自分で決めてきたことだったのかぁ!と…(実際のところ、見えない領域のことで分かりかねますが…)
分かりやすい例えで言えば、お金持ちのところに生まれるか、そうでないところに生まれるか。
自分で決めれるんだったなら、もっと平和なところに生まれたかった!
まさに修行だと思います…生きるって。
だけど、これからの私は楽しく生きるぞ〜〜〜!
子どもの頃、どんなに辛くても何故なのか「未来は薔薇色」って信じていました。
これからだって、いつだって薔薇色だってそう妄想しよう。
明るく楽しい妄想が、どんな現実をも光で照らせるように…
右往左往しながらでも、しっかり生きていけるように。
今は、なかなか空を見上げるということが少なくなってしまったけれど、今だに姿を見たこともないけれど、神様がいることだけは分かります。
確信だけはしています。
会ったことはないんだけど…ね(笑
そして、自分のことを信頼する。
今日もありがとう☆
ばけたんを買うきっかけになった、とあるアパートメント
先日、車でそのアパートの前を通りかかった時だった。
隣に座っていた娘が、「今ゾワってした!」と言う。
私はあーと思って「まだいるんだ…」と言った。
仕事で、毎週のように訪れていたそのアパートメント。
最初の部屋へ向かう角を曲がったところで、決まってゾワゾワと悪寒が走った。
角を曲がった先の二階へと続く階段の下辺りに、いつも誰かが立っているような気がした。
はじめ、そこを訪れるのが時間的に陽が沈んで暗くなっているからなのだろうと思っていた。
暗がりがあると、それだけでどこか怖かったりする。
けれどまた別のある日、昼間訪れた時だった。
若干薄らいではいたものの、またしても悪寒が走ったのだ。
できれば気のせい、ということにしておきたかったけど、なんだかそうしちゃいけないような気がした。
それがきっかけだった。
確か、当時観ていた「超ムーの世界R」という番組だったと思うが、TOCANA編集長の角さんが紹介していたように記憶している。
その時はじめて「ばけたん」を知ったのだった。
おばけ探知機!?何じゃそりゃ!!と言うのが実は率直な感想だったんだけど…(^_^;)
それでもなんだか確信的なものを感じて、早速「購入する」をクリックしてみた。
いざ、ばけたんを持ってそのアパートへ。
二回押しの探索モードというものにして、緊張しつつゆっくり歩いて行くと、一階ではすべて緑ランプ、二階のとある部屋の前に行くと、突然赤ランプの警告音が鳴り出した。
慌てて浄化機能のバリアモードを押してみた。
かと言って、それでどうにかなったのか?までは分からなかったけれど…
ただこのアパートには、やはり見えない誰かがいたんだなということが知れただけで、十分だと思った。
もう、あれから二年近く経っている。
私は仕事の度、そのアパートに足を運んだけれど、不思議とあれ以来ゾワゾワするという感覚はなかった。
ってことは、見えないその誰かは、そこに存在していると認めてもらえたことで満足だったのかな?
思い返してみると、私が仕事で通った二年九ヶ月の間、二階にはずーっと空き室だった二部屋があった。
ほぼ毎週通っていたのだから、間違いようもない。
あの二部屋に誰かが住んでいたことなんて、私が通っていた間は一度もなかった。
他の部屋も出入りが激しく、いつも半分も埋まっていなかった。
先月とうとうその仕事を辞めたのだけど、先日娘がそのアパートの前で反応したので、まだそうなのかあと、妙に感慨深く思ったのだった。
私はバリアモードを放つ危険人物として、私が行くと気配を消していたのかしら?
でも、私がばけたんでそのアパートを確かめたのは、後にも先にもその一度きりだった。
ちなみにそのアパートは、大島てるさんのサイトには載っていないが、とある市の住宅街にひっそりと佇んでいる。
え〜と、子供のように無邪気なピュアな心で、自分が一番ワクワクするやりたいことを
さあ始めよう!と言っているようなので(解説書参照しながら)、とりあえず久々にblogを更新しました( ´ ▽ ` )
今日もありがとうです☆
ただいま水星逆行中…
昨年、youtube動画を見ながらハッと気が付いたことがあって…
と言うか、知ったことがあって、月の満ち欠けが心や体に何かしらの影響を及ぼすように、惑星の逆行というものの影響も、どうやら受けているらしいということ。
思い返せばあれもこれも、まさかの逆行のせいだったのか!?と、なんだかそんな気もしてきた…(あはは、不思議な体験してる割には、私、スピリチュアルに疎いです…)
そう思う方が(実際そうなんだと思うが)気持ち的に楽にもなった。
感情の浮き沈みだとか、機器系はじめ、何かしらのトラブルだとか、その度ごと自分で自分を責めてしまって、気分はマリアナ海溝並みに落ち込んでしまったり。゚(゚´Д`゚)゚。
それでも、惑星からの影響を受けているせいでもあるんだ!!、そう思うことでなんとなく気持ちが楽になるから、そう知ってからというもの、惑星の逆行と聞けば、どれどれと気にするようになった。
占星術は、生まれた時間まできっちり割り出したものでないとなんだか微妙な気もするが、惑星の運行は占いでなく現実のことだから、あまねく生命に何らかの影響を及ぼしているのだろうな、とは思える。
そんな今年初の水星逆行が、今月14日から来月の4日まで起きているとのこと。
でも、私は決めたぞ。
何があっても巌のように動じない。
とりあえず決めた。←いろいろありすぎて疲れたから、もう深く考えない(>_<)
今の自分へのメッセージ。THE STARSEED ORACLEカードより。
パッと見て、なんだかテレパシーみたいに思った。
コミュニケーションで出てくるって、逆行中からなのかな!?
サポートメッセージも引いてみました。
おっ、鏡!! ORACLE OF THE HIDDEN WORLDSカードより。
英語が読めないのでGoogle翻訳で表題の下を見ると、「他の人生、過去の人生、次元の人生」とある。
ふと、今日偶然出会った、素敵な人生を生きている方のことを思った。
悩んでいた私の背中を、まるでポンと押してくれようとわざわざ来てくれたみたいに、颯爽と現れたカメラマンさん。
その話はまた、いつか別の機会に話せたら良いなと思う。
今日もありがとう☆
絵画が放つエネルギー
10年くらい前に、宮城県美術館で開催されていた「東山魁夷展」を観に行った時に感じた、忘れられない不思議な感覚について、今日は話そうと思う。
学生の頃から、彼の描く絵画には心惹かれるものがあった。
とは言っても私が唯一持っていたものは「四季めぐりあい 春」の1冊だけだったけれど、何度も何度も眺めてはうっとりと満たされて、私のお気に入りの1冊となっていた。
なので、「東山魁夷展」と聞いて、これだけは絶対に行きたい!と、当時小学生だった娘をなかば道連れに、ワクワクしながら行ったことを覚えている。
私は、ある1枚の絵画の前で足をとめた。
どんな額縁だったろう?
額縁からしてとても荘厳であったことは間違いなかったはず、はずだけれど…
額縁というより、その時の私にはそれが窓枠にしか思えなかった。
窓枠の中に広がっていたのは、リアルな景色そのものだった。
朝の光、風、空気感、教会の鐘の音、鳥の羽ばたき、活気ある街のざわめき…
五感にそのまま伝わってくるエネルギー。
私は、見学している間に、何度かその絵に戻ってみた。
その絵は確かに生きていた。
五感に伝わるエネルギーが、その絵の前を訪れる度、しっかりと放たれているのを感じた。
それは本当に不思議な出来事だった。
飾られている他のどの絵も、とてもダイナミックかつ静謐で、厳かで、心に染み入る素敵な絵ばかりだったけれど、あんな風にリアルそのままを伝えてきたのは、あの1枚きりだった。
東山魁夷展画集より
帰りにたまらず画集を買ってみたけれど、そこからは実際に観た絵画から伝わるエネルギーのようなもの、感覚というのかな、あの生々しいリアルさを感じることはなかった。
それどころか、画集には夕景とさえある。
でも、私が感じたのは朝の光、朝の目覚めのはずだった。
なので、そこらあたりも本当に不思議でさっぱりよく分からない。
私が感じていたのは、絵画が放つエネルギーだったのか、それとも作者の残留思念とでも言うのか、はたまた絵画が持つ記憶とでも言うのか…
もしかしたらどこかで誰か、例え別の絵画であったとしても、同じような経験をしたことのある人がいるかもしれない。
あの、窓枠(額縁)の向こうから伝わってくる不思議なまでの躍動感…
あの生々しい感覚は何?
誰かわかる人〜〜〜!!
いたらお教え願いたいm(_ _)m
因みに娘はそこまでは感じなかったらしいが、絵画展そのものにはとても感動していた。
もし機会があるのなら、もう一度あの絵を観てみたいなぁって思う。
あの絵は今も、生き生きとした朝のエネルギーを放ちながら、所蔵されている美術館の中に、ひっそりと飾られているのかな…
SACRED FOREST ORACLE カードより
SACRED DESTINY ORACLE カードより
NATURE'S WHISPERS ORACLE カードより
今日もありがとー☆
本の内容とリンクしてしまったこと −ダイアナ・ウィン・ジョーンズ氏に捧ぐ−
3年前、2019年の春から初夏にかけてのことだった。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズさんの本が、再び私の密かなマイブームになっていた。
再びと書いたのは、初めて彼女の作品に触れたのが、ジブリ映画「ハウルの動く城」を観た時からだった。
そこから彼女の作品を手当たり次第に読み漁った。(とは言っても全て読んでいないけど…)
「魔法使いハウルと火の悪魔」のシリーズも好きだし、「九年目の魔法」も好きで何度か繰り返し読んでいたけれど、中でもクレストマンシーシリーズの「魔女と暮らせば」が私的にはダントツだった。
そのうち、どんな方なのかも知りたくなって図書館へ出かけて行き、「ファンタジーを書く:ダイアナ・ウィン・ジョーンズの回想」を借りてみたら、それがまたなかなか興味深い内容だった。
その中の、オーストラリア駆け足旅行【講演その2 児童文学の長所と短所】より抜粋↓
『 わたしの書く本には、裏表紙やレビューには決して書かれませんが、ある奇妙で不気味な事実がまつわりついています__書いたことが現実になるのです。それが起こるのはたいてい、書きあげたあとです。(中略)本の内容がわたしに降りかかってくるのはかまいません。____そのくらいのリスクは引き受けます。ですが、ほかの人の身にまで影響を与え始めたとしたら、ジョークではすまされません。問題なのは、ある物語はある事件がその中で起こることを要求し、それを否定すると物語が台なしになってしまう、ということです。そこでわたしは、この件を深く考えてみました。その結果、本の内容の一部が現実になることについては何もできないけれど____本当にコントロールできないのです____わたしがちゃんとコントロールできて、責任を強く感じる種類の事柄も存在するということがわかりました。以下略 』
後になって「クリストファーの魔法の旅」の日本の読者のみなさんへというあとがきにも、同じようなことが書いてあったことを思い出した。
2019年の6月、私は図書館でダイアナ・ウィン・ジョーンズさんのある本を探していた。
彼女のコーナーには見当たらなかったので、検索機で探すと書庫にあるという。
すぐに受付にお願いしてその本を借りて行くことができた。
内容は、彼女らしいドタバタ感満載の面白いファンタジーではあったのだけど、困ったことが起こった。
本を読み終わってまもなく、娘のパソコンが突如壊れてしまったのだ。
何をどうしても動かないらしく、修理に出すことになった。
おそらくOSの破損ということらしいが、なぜそうなったのかデータ救出業者の方にも分からない???ということだった。
結局、トータルで20万程の痛い出費になってしまった。
主人公も物語の中で、パソコンが壊れてしまったんだった…
今から思うと、ダイアナさんの児童文学が、なんで書庫なんかにあるんだろう?とあの時不思議に思ったんだっけ。
まさか、今でもあの本にはしっかり魔法が生きていて、偶然借りてしまった人たちに、何か笑えないイタズラを仕掛けているんだろうか?と思ったりもする。
娘はあれ以来、本のタイトルを口にするだけでもやめて!と怯えている、その本のタイトルとは…きっとご心配な方もおられるかと思うので、途中まで。
「メルストーン館の不思議○○」
○○のところ、伏せています。
なんだかんだ言いながら、本に秘められた魔法が未だ健在なところをみると、今は亡きダイアナ・ウィン・ジョーンズさんこそが、死してなお、実は偉大な魔法使いであったのかもしれません。
(たまたまでしょ?偶然だろ?と思われますお方、何卒このブログ主のぶっ飛んだ考えに生類憐れみの心で華麗にスルーしてやってくださいましw)
確かに、たまたまってこともあるよね〜(*´∀`*)あっはっは!
でも、本当に不思議な出来事でした。
日本の神様カードより
今だから笑えますが、当時は娘と青くなったり赤くなったり。
ふと、思い出したので書いてみました(^。^)
今日もありがとう☆
エンパス体質について思うこと
何年か前に、エンパス体質という言葉を知った。
周りの人の気だとかエネルギーだとかを、必要以上に受けてしまう体質のことをいうらしい。
それはなんだかまるで、自分のことを言われているような気がした。
エンパス体質というのは、どちらかと言えば邪気などの負のエネルギーを受け取ることの方が多いようなのだが、例えば見えないものからの気やエネルギーなども受けやすいのではないのか、と思う。
初めて一人暮らしをしたアパートで、なぜかやたらと金縛りに合った。
だけど私は、謂わゆる視える人ではなかった。(感覚〔気配とか〕として感じるとか、たまに聞こえるとかいうのはなんとなくだけどある)←気のせいというのも然りですが…
ただ、耳鳴りから始まる(更に瞼の裏に光が走ったり)ので、疲れからくる金縛りでないことだけは分かっていた。
金縛りには、かなり悩まされてきたから…
因みに今は滅多なことではならなくなりました。
大人になった(成長した)から?!←違っ!
ある時そのアパートの台所で、不意に振り返った時だった。
振り返った少し先で、誰かがめっちゃ驚いた!というバクバクしているような感情が伝わってきた。
もちろんアパートには私以外の誰もいない。
だから私も驚いた。
見えない誰かもまだ放心しているかのようだった。
私が急に振り向くとは、その誰かは思わなかったのだと思う。
てことは、今まで感情を動かさずひっそりと気配を消していたから、私は気づけなかったのかな?
気配を少しでも感じられたことで、まだ歳若い男性の方かな?くらいまではなんとなく知ることができた。
その時本当に私が驚いたことは、幽霊でも驚く、というか、ただただ怖い的なイメージしかなかったのが、それ以外の感情がちゃんとあるんだな、ということだった。
(幽霊さん、ゴメンなさい)
その後も含め、私は結局そのアパートに、10ヶ月ほど住んだ。
視えないってことは、背筋に悪寒が走るような感覚が来ない限りは、あまり恐怖だとは思わなかった。
それに、その誰かの存在に気づいてからは、それまで頻繁に合っていた金縛りは、ずっと少なくなっていたように思う。
そのアパートに入る時、不動産屋さんが言ってた言葉の意味を、あまり深く考えてもみなかったけれど、今から思えばなかなかどうして、スリリングな体験ができて良かったんじゃないかな。←それ、ヤバイ状態だったんじゃ…?
「悪いことは言わないから、会社の寮に入った方が良いよ」
そんなこと言うくらいなら、はじめから紹介しなきゃ良いじゃん!て、思ったアルよ。
今でいう、シェアハウス(幽霊との)の走りだったのかもしれない。
やはり私は、エンパス体質みたいだ。
なんくるかーどより、同時に飛び出した3枚。
クリスタルカードより、飛び出した1枚。
今日もありがとう☆
朝のUFO?ジグザグ里帰り
昨年の29日に撮った写真。
ふと、朝日の隣にある丸い形のものは何だろう?と思った。
「もしかして、UFOなのかな?」と娘に言うと、娘が撮った写真にも写っていたので、光の反射とかではないようだった。
とすると、UFO疑惑説濃厚!?
って、たまたまこんな形だったゆーのもありですが…😅
分かります?分かります?←シツコイねん!
これまで、リアルに数回UFO(らしき飛行体)を見たことがあるんですが、いつかその時の話も書いて見ようと思っています。
因みに、初めて見たのは小5の時の夜、近所の八幡様の杉木立ちの上空で光っていた赤橙色したラグビーボールのような球体でした。
慌てて家に戻って父を連れてきた時には、もうその姿は消えていました。
あの当時、よく〇〇スペシャルとかいう番組でUFOの特集が組まれていたりして、どちらかというと、子どもにとっては怖〜いイメージがありました。
だからその日は、もし攫われて連れて行かれでもしたらどうしようと、ガクガクしながら布団に潜っていた記憶があります。
なかなかお目にかかれないイメージが強いけれど、案外雲などに擬態とかしたりして、割と空にいてるのかもしれないなーって思ったり。
どなたかがそういうことを書かれていたと思いましたが、私もそんな風に妄想しています☁️
『アミ 小さな宇宙人』のお話が好きな私としては。
あれ、この本に書かれていたんだっけ?
忘れちゃいましたが…(^^;;
話が逸れてしまいましたが、その日(29日)、窓を開けてからというもの、アレルギー性のくしゃみ・鼻水が止まらない。
どうもスギ花粉らしい。
突然来るものだから、なんだか心の準備が出来ていなくてちょっと憂鬱気味。
実家への里帰り、慣れない雪道でジグザグ走行になり、側溝へ落ちてしまった。
無理やり脱出しようとしたのがいけなかったらしく…
しばしガタガタ言わせて走ってはみたものの、結局走行できなくなってしまい、山道でヘルプ要請をすることに。
応急処置をしていただいて、なんとか帰途に着く。
道路幅だけでのジグザグだったから良かった。
実際、何度か道路幅を越えかけてさらに深みに落ちそうになったりもしたけど、なんとか踏みとどまることができて本当に良かった。
かすり傷ひとつなく済んだのだから…
途中、真っ白な雪景色の中、子牛のような色味の(赤土色みたいな)どでかいイノシシに遭遇する。
道端の雪に鼻先を突っ込んで、何かモグモグ食べていた様子だったけれど、車が通り過ぎる際、顔を上げてこちらをジッと見てきた。
目が合ったかもしれないが、ただそれだけだった。
車が通っても逃げも隠れもしないのだから、この辺の土地でもいろいろと作物が荒らされているのだろうな。
実家でも、ネットや柵を張るなどして、イノシシ対策にはかなり苦慮している。
イノシシだって(イノシシに限らず野生動物全般)生きていくためには必死だから、こうして里へ降りてきて食べ物を探さなきゃならない状況ではある…
そうならざるおえない状況を作ってしまっているのは人間でもあって。
何が一番良い方法何だろう?と考えてみても、堂々巡りでさっぱり答えが見つからない。
難しいことだよね…うまい具合に共存できれば良いのだけど。
話があちこちに脱線してしまったけれど、実は11月にも側溝に落ちた。
それも、同じ側の車輪だった。
続けて2度も起こるっていうことは、自分の不注意もさることながら、何かに対してのメッセージだったのかなぁ。
今、自分がこのまま続けるべきかどうかで悩んでいることへの答えなのかなぁ?なんて。
SACRED DESTINYのオラクルカードより
なにか、どこか少しでも響くところがあったら良いなあ…
カードは好きだけど、実際にはリーディングができないので解説書頼りです…(^^;
いつか、どなたかのカードリディング講座を習ってみようかな。
でも、続けられる自信がないかなぁ……
今日もありがとう☆
きっと、幸多き1年になるね✨
リアリー!?
わっはっは〜♪( ´θ`)ノ