3.11に寄せて

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あの日から11年が過ぎようとしています。

 

 

私がこれから話す記憶は、あの日から遡ること、7ヶ月くらい前のこと、確かお盆前だったと記憶しています。

当時小学生だった娘と当時60代の母と私の3人で、気仙沼市大谷海岸に海水浴で訪れていました。

私が子ども時代から、海水浴といえば大谷海岸か、もしくは御伊勢浜、小泉海岸の辺りでした。

大谷海岸には道の駅があって、当時マンボウの水槽がありました。

マンボウは飼育がとても難しいらしく、水槽の縁の方に、飼育何日目というプレートが貼ってあったように記憶しています。

何日目だったかは、残念ながら覚えていないのですが…

 

アトピーには海水がよく効いたので、その年も娘を泳ぎに連れて来ていました。

泳ぎ始めてどのくらいしてからだったか、突然けたたましくサイレンが鳴って、何事だろうと思っていたら、津波を想定した避難訓練があったのでした。

私たちは偶然にも、その訓練に居合わせたのです。

気仙沼市では、常日頃からこういう訓練をしていて、防災意識がとても高いのだなぁと感心したことを覚えています。

 

その日の訓練に、1人の歳若い警察官の方がおられました。

20代後半くらいのように見えました。

訓練が終わった後も、人々で賑わう海水浴場の砂浜を、ゆっくりと踏みしめるように巡回しておられました。

一度立ち止まって、海の方にじっと目を向けたその横顔が、とても優しく微笑んでおられたのを今もはっきりと覚えています。

その横顔が、ずっと印象に残っていました。

 

あの震災の後、しばらく経ってようやくいつもの日常を取り戻しつつあったある日のこと、私はふと、あの警察官の方のことを思い出しました。

あの日、海水浴場に居合わせた人たち、大きなプーさんのぬいぐるみが鎮座していた、お気に入りの道の駅のレストラン、あそこで働いていた人たち…

あの日、あの海岸で、あの訓練で、偶然にも居合わせたあの人たちは、無事に逃げることが出来たのでしょうか?

 

その後、住民の避難誘導で命を落とした警察官がおられたことを知りました。

その方が、もしかしたらあの日出会った警察官の方だったのではないでしょうか…?

その警察官の方は千田さんと言って、当時30歳だったそうです。

千田さんと親交があった鈴木さんご夫妻が、2012年に津波から住民を守ったことを偲び、お地蔵様を建立されたという記事を見つけました。

千田さんには、奥様と幼いお子さんがおられたことを、後のニュースで見た記憶があります。

亡くなってしまった方、そして残された方、どちらの悲しみもとても言葉では言い表わせないほどに、どんなにか辛いことだろうと思います。

そんな悲しい痛みを負ったたくさんの方々の辛さ、苦しさが、どうか少しでも癒えますように。

そして、あの未曾有の震災で命を落としたすべての方のご冥福を、心からお祈り致します。